「肥前国伊万里焼を本朝第一とす」──江戸時代の自然誌がそう断言した有田焼の製造工程は、驚くほど詳細に記録されている。白磁土の採掘から、轆轤成形・素焼き・絵付け・本焼きまで「七十二の工程」を経て完成する一枚の皿。「土にして土にあらず、石にして石にあらず」という泉山の白磁土の神秘と、中国・ヨーロッパにも輸出された日本陶芸の技の頂点を、この巻は克明に伝える。
肥前国(佐賀県)の伊万里焼は日本第一の陶器。主な窯山は十八ヶ所が上場とされる。
| 窯山名 | 特色・備考 |
|---|---|
| 大河内山 | 鍋島藩の御用窯。他への販売禁止 |
| 三河内山 | 平戸藩の御用窯。他への販売禁止 |
| 和泉山・上幸平・本幸平 | 有田のうちの主要窯山 |
| 白川・稗古場 | 隣藩(他の領地) |
| 廣瀬など | 青磁が多いが上品のものが少ない |
| 赤絵町 | 五彩・金銀の絵付け専門 |
「伊万里」は商人の集まる港(湊)であって、焼き造りの場所ではない。主産地は松浦郡有田のうちにあり、十八ヶ所は泉山の周辺に位置する。
泉山の白磁土を採掘して金属製の「添水碓(そうずうす・水力碓)」でついて粉末化する。水力を使って多くの碓を連ねる巨大な製粉機械。複数種類の軟らかい土を二〜三種類合わせて「澄池(すましいけ)」に入れ、幾度もかき混ぜ、飯籬(いいざる)で濾す。
さらに別の槽へ移して澄ませ、上澄みが「細料(最上品)」、中間が「普通品」、底の沈殿物は廃棄。水切り後の土を窯の屋根に塗って内側の熱で乾燥させる。これを落として清水で再度溶き、「団子状」に練り上げて職人に渡す。ここまでが「婦人の仕事」とされた。
陶器の成形には型物(印器)と轆轤物(圓器)の二種がある。
轆轤物:大小の茶碗・皿類(日用品)が全体の九割を占める。上下二枚の円盤に中央の心棒を通した轆轤を使い、職人が足で下の車を回し続ける。両手で土を押し上げると指が自然に内側に入り込んで成形されていく。「車の回転の中に底の形を心のままに作り、指尖の妙工で見る間にその数を造る」という記述は、名人の技を生き生きと伝えている。
削り・補修・水注の取り付けなどを施した後、陰乾しにして極白に仕上げてから素焼きへ。
素焼き後、絵付けをして釉薬を二度かけて本窯へ。本窯は丘陵の斜面に六連ほど接続した「連房式登り窯」。内部は一窯ずつ一段ずつ高くなり、各窯が互いにつながっている。
一窯の大きさは内部三十坪(約100㎡)。昼夜三〜四日間燃やし続けて、薪を凡そ二万本消費する大規模操業。熟練の職人が扉の脇の小穴から成熟度を確かめ、よく冷ましてから取り出す。一窯で凡そ百俵の焼き物が得られる。
釉薬(銹)の種類: 過釉(かぐすり:白磁用)、回青(かいせい:中国渡来の青碧顔料で焼くと青変化)、赤絵(錦様:五彩・金銀、山の秘術として門外不出)。回青は中国・天工開物に記されている「無名異」の一種で、描くときは真っ黒だが焼いた後に美しい青碧色になる。
一枚の小皿に七十二の工程って、すごすぎるワン!水力で動く自動碓とか、回すとその場で形が変わる轆轤とか、江戸時代の有田は最先端の工業地帯だったんだワン。「土にして土にあらず、石にして石にあらず」という泉山の白磁土の謎めいた言葉も格好いいワン!