鰹節は日本料理の根幹を支える「出汁(だし)の王様」。その製法は江戸時代にほぼ完成されていました。『日本山海名産図会』巻四の冒頭を飾る「堅魚(かたうお)」の条は、初鰹から乾燥・研磨まで、驚くほど詳細に鰹節製造の全工程を記した産業史の一級資料です。土佐の清冽な名水と職人の技が、日本一の鰹節を生み出してきた物語を辿ります。
鰹は土佐・阿波・紀州・伊予・駿河・伊豆・相模・安房・上総・陸奥・薩摩など、諸国で漁獲される。四〜五月ごろ、東南の海に群れをなして浮き泳ぐため、関東・土佐・紀州に漁場が集まり、とりわけ鎌倉・熊野に多い。
品質ランキング:なかでも土佐・薩州を名産として、身が厚く肉が豊かで乾魚(節)の最上品とされる。阿波・伊勢がこれに次ぐ。駿河・伊豆・相模・武蔵産は身が薄く、生食には向くが乾燥させると味が薄い。安房・上総・奥州産はさらにその下。
魚の品種には縷鰹・横輪鰹・餅鰹・宇津和鰹・ヒラ鰹などがある。なかでも「鎧鰹(よろいかつお)」が真打ち、次いで「横輪鰹」で、この二種が主に節に加工される。東国では小さなものを「メジカ(雌鹿)」と呼ぶ。
鰹漁は網が少なく、主に釣り。生きた鰯を桶に保存して餌とし、一艘に十二人の釣り師が乗り込む。釣り竿は一間半(約2.7m)、糸は一間(約1.8m)、かえしのない針を使う。
釣りを始めるには、まず大量の生鰯を水面に撒く。鰹が踊るように集まってきたところへ、鯔(ぼら)を尾から針に刺して投げ込むと、食いついた瞬間に引き上げる。一人で数十尾を連続で引き上げることができ、「矢を放つがごとく」と記されている。
また別の方法として、水の浅い場所では「鯨の歯」や「子牛の角」に針を通した擬似餌を使う。牛角は水に入ると自然に光るため、魚を引き付ける効果がある。さらに牛角に鶏の羽を組み合わせて水面で振ると、光と動きが魚の大群に似て引き寄せる。
陸揚げされた鰹は浜辺に設けられた仮設の加工小屋「行廚(かりくりや)」に運び込まれます。藁で覆った小屋の中で、多くの作業員が分業しながら解体・下処理を手際よくこなしていきます。
一尾を四切れに捌いて骨と腸を取り除き、腸は塩に漬けて「酒盗(しゅとう)」として副産物に。大釜では湯が常に沸かされ、蒸しの工程が休みなく続きます。浜辺全体が巨大な加工工場となる情景は壮観です。
釣り船を岸に寄せると、男女老若が一斉に集まって解体作業が始まる。一尾を四切れに捌いて、骨と腸は各自の報酬になる。腸は塩に漬けて「酒盗(しゅとう)」として売るのが賢い副業だった。
| 工程 | 内容 | 備考 |
|---|---|---|
| ①解体 | 頭・腹わた除去、骨を取り除き四切れに | 腸は「酒盗」へ |
| ②蒸し | 大釜の熱湯で籠ごと蒸す | 下の籠から取り出す |
| ③冷まし・洗浄 | 水で冷やし、小骨を除去して洗う | |
| ④天日乾燥 | 竹簀の蒸籠に並べて約三十日間 | 長さ五尺の蒸籠使用 |
| ⑤研磨・仕上げ | 鮫皮で削り整え、縄で磨いて完成 |
脊節(背中側)が最上品、腹節がこれに次ぐ。脊節は上向きに反り、腹節は真っ直ぐ。
鰹節の品質を決める最後の秘訣は「水」だった。土佐では「清浄水(せいじょうすい)」と呼ばれる名水を使うため、名産の第一位とされた。冬の清冽な冷水が最適で、これが他の産地との決定的な差をもたらした。
「乾魚は本邦日用の物にして、五味の偏を調和し、物を塩梅するの主なり」──と図会は記す。出汁(だし)の文化そのものが、すでに江戸時代に確立されていた。
万葉集にも「島の子が堅魚つり鯛つりかねて」と詠まれており、延喜式(927年)には相撲・安房・紀州・土佐・日向・駿河・豊後から「堅魚煎汁(にこごり)」を貢進したと記されている。
鰹漁の図に描かれた釣り人たちの手際のよさがすごいワン!牛の角でキラキラ光らせて鰹を呼び寄せるって、まるで現代のメタルジグ(ルアー)釣りと同じ発想だワン。江戸時代の漁師さんたち、天才だったんだワン!