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日本山海名産図会 巻三 (5)

能登・若狭の鯖と五智網
篝火の海と知恵の漁法

「鯖は丹波・但馬・紀州熊野より出すが、なかでも能登を名品とする」──図会はそう記す。春から秋の夜、霞がたなびく海上に数百艘が一里にもわたって並び、一艘ずつ二つの篝火を焚く。万の炎が空を焦がす中、鯖が光に誘われて自ら船に踊り込む。さらに若狭・能登では、五艘の船が精緻に連携する「五智網(ごち綱)」で鯖や鯛を一尾残らず囲い込む。篝火と智慧が織りなす、北陸漁業の粋がここにある。

能登・若狭の鯖漁の図

篝火の鯖漁:夜の海が燃える

鯖を釣るには「鯖日和」を選ぶ。春・夏・秋の夜に空が曇り、湖水のように波が立ち上って海上に霞がたなびく晩が最良とされた。

漁船数百艘が一里ほどにわたって打ち並び、また一里ほど間を空けてさらに並ぶ。船ごとに二つの篝火を灯すと、万の炎が天を焦がして海上は昼のように明るくなる。針には十尋ほどの苧の糸を付け、琴の緒のような五文目(約19g)の鉛の重玉を付け、イワシなどを餌とした。竿は使わず、糸を桶へ手繰り寄せて操った。

但馬の奇術:松明の影に魚が踊り込む
但馬国では釣り針さえも使わない。松明を勢いよく振り立て、その影が「波浪を穿つがごとく」に見えるとき、鯖は自ら光の影を追って船中に踊り込んでくる──「これまた一奇術なり」と図会は感嘆している。現代の集魚灯漁法に通じる原理を、江戸の漁師たちは経験から掴んでいた。

五智網(ごち綱):五艘の精緻な連携

若狭・能登の誇る「五智網」は、複数の船が厳密に役割分担する高度な集団漁法です。図会はその手順を驚くほど詳しく記録しています。

まず「ブリ縄」(長さ約320尋、約576m)を海中に展開します。縄は先端から15尋・4尋・3尋と段階的に細くなり、上等な苧の細糸で作られます。浮き(アバ)はありますが、重石(沈子)は竹を編んだかごに石を詰めたもの。

五艘の役割分担:「かつら船」(2艘、各3人)が縄の両端を保持。「中船」が魚の分散を防ぐ。「網船」(2艘、各8人)が麾を振り、縄を引き絞る。「ひかへ舟」(1艘)が縄の中央を制御。各船が麾(差配旗)の進退に従って動き、最終的に網を引き絞ると「魚亦漏(た)きがごとく踊りあがり」、漁師は熊手状の道具で次々と小船へ移し取ります。

「一畳」という単位と早業
縄を重ね合わせる「一畳」とは幅四間(約7.2m)・下垂十間(約18m)ほどの大きさです。何枚もの畳を一瞬で繋ぎ合わせる早業が求められ、魚を逃がさない間合いの妙が名人の腕前を左右しました。

「鯖」という字と名の謎

「鯖」の字は日本独自の文字(国俗の制)です。中国の字書に「春魚」とある「鯖」はわずか二〜三寸の小魚であり、この大きな魚にはまったく当てはまりません。

語源として『大和本草』は「馬鮫魚(うまかじき)」に当て、「体は大きいが腹が細く狭いので狭腹(サハラ)と号ける。サは狭少なり」と説きます。別の説では古語で「物の多く聚まること」をサバと言ったとも伝わり、「いずれか是なりとも知らず」と著者自身が結論を保留しています。

和名抄には「アヲサバ」と訓ずる。また本草に「青魚」とある鯖は「カド」といってニシンのことであり、「その子をカズノコ(数の子)またカトノコ(鰊の子)という」──現代の数の子の語源にも繋がる記述が見られます。

さらに鯖の卵は非常に大きく、干したものが「カラスミ(乾子)」と呼ばれました。ただし「ボラのカラスミはこれに勝る」とも記されています。

北陸の海の鯖を現代に

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ほえまる
ほえまるの「ほえ〜!」コメント

夜の海に数百艘の船が並んで万の篝火を灯す光景、想像するだけで壮大だワン!「針もなく松明の影に魚が踊り込む」なんて本当に不思議だけど、光に集まる魚の習性を江戸時代にはもう知っていたんだワン。五智網の五艘の船が麾一つで呼吸を合わせて動く、職人技のすごさも伝わってくるワン!