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日本山海名産図会 巻三 (2)

丹後・若狭 鰤と鯛・鰈の漁法

丹後国与謝の海で獲れるブリは、古来より最高級品として名高い存在です。山の椎の実が海に落ちてブリの餌となり、身が格別に肥える──という図会の記述は、江戸人の鋭い自然観察を伝えます。さらに隣接する若狭国では、今も「天下の珍美」と称えられる鰈の塩蒸し加工や、小鯛の延縄漁が営まれていました。日本海の豊かな恵みを、二つの国の技と知恵から辿ります。

鰤追網

椎の実が育む「日本一の脂」

丹後国与謝の海域、特に伊根の地(イ子と云所)には椎(しい)の木が非常に多く自生しています。その実が海に落ちてブリの餌となることで、この地のブリは驚くほど身が肥え、味が格別になると言われています。

天の橋立で知られる宮津や、西側の喜瀬戸(きせと)を含む与謝の入り江は、ブリが常に回遊する豊かな漁場です。成長して外海へ出ようとする瞬間を逃さず、一気に「追網(ついあみ)」で仕留めるのが丹後の伝統手法です。

追網(ついあみ)の仕組み
網の目は冬から正月下旬まで七寸ほど、二〜三月からは五〜六寸に使い分けます。一艘に漕ぎ手1人・網操作4人の計5人が乗り、近くの山頂に遠目鏡を構えて魚の群れを監視。海面が光耀して波が高く見えたとき「魚一尾踊る時は必ず千尾」と判断し、塵(旗)を振って船に合図を送ります。
鰤漁の様子

出世魚・鰤の成長と「鰤」の字の謎

ブリは成長段階に応じて呼び名が変わる、縁起の良い「出世魚」の代表格です。ワカナゴ・ツパス・イナダ・メジロ・フクラキ・ハマチ、そして最終的にブリへと変わります。九州地方では「オオオク」とも呼ばれています。

「鰤」という漢字は日本独自の俗字で、『本草綱目』に「魚師(ぎょし)」とあるのは老魚・大魚の総称に過ぎず、定説はありません。ブリの訓については「年老い(年経り)た」を意味する「経(ふ)り」から転じた説や、「釣りの魚」が濁音化したとする説があり、著者自身は「これを充てて可なり」と結論を保留しています。

「鰤は連行して東北の大浪を経て西南の海を廻り、丹後の海上に至る頃には魚が肥え脂多く味甚だ甘美なり」──長旅でこそ美味しくなる。その到着点が丹後の海だった、というわけです。

若狭の鯛・鰈漁

若狭の誇り「むし鰈」──天下の珍美

丹後と隣り合う若狭国(福井県)では、鰈(かれい)漁も盛んでした。若狭・越前・敦賀・三国の漁人が手操綱を用い、海の深さ約50尋(約90m)の底に住む鰈を、帆の力を借りながら引き揚げます。混獲物として大きな蟹も多く取れました。

特筆すべきは加工法です。獲れたての鰈を一夜塩水に浸して半熟させ、砂上に置いて藁薦(わらこも)を覆い、温湿の気で蒸します。その後二枚ずつ尾を糸で繋いで干し、「一日の止宿も忌みて即日京に出す」──一泊も置かずにその日のうちに京都に送り出すのです。

「淡乾の品多しとはいへども、是天下の出類、雲上の珍美と云べし」──塩蒸しの鰈(むし鰈)は、乾物の数ある品のなかでも群を抜く最高級品として称えられました。
小鯛の延縄(はえなわ)漁
若狭では小鯛を、一束ほどの縄に一尺ほどの苧糸・針を一尋(約1.8m)ごとに並べた「延縄(せ縄)」で釣ります。両端に樽の浮きを付け、「百針百尾」──百本の針をおろせば百尾が釣れる、と図会は記しています。淡乾(薄く乾燥させたもの)は鰈の味にも勝ると評されました。
鰤の立網漁の図

立網(たてあみ)漁:沖に仕掛ける大型定置網

追網のほかに、定置式の「立網」もブリ漁の重要な手法でした。海底から海面まで垂直に張り渡した大型の網を潮流の中に固定し、回遊するブリが自ら絡まるのを待ちます。漁師たちは腰まで海水に浸かりながら網の設置・回収作業を行う、体力勝負の漁でした。

図会にはこの立網漁の勇壮な様子が描かれており、勇ましく波に抗いながら作業する漁師の姿は圧巻です。

若狭・鯛と鮭の加工処理の図

若狭の加工場:鯛・鮭の塩蒸しと出荷

若狭では鰈だけでなく、鯛や鮭の加工も盛んでした。浜辺に建てられた加工小屋では、獲れたての魚を手際よく下処理し、塩をあてて蒸す作業が昼夜を問わず行われていました。

沖では漁船が縦横に行き交い、浜では女性たちが仕分けや塩漬けを担当します。こうして整えられた「若狭物」は京の都へ送られ、宮廷や豪商の食膳を飾る珍品として珍重されました。図会にはその賑やかな加工の現場が丁寧に描き込まれています。

本場・丹後・若狭の味を現代に

日本海の荒波が育んだ寒ブリの旨みと、若狭の海の珠玉を現代の食卓で。

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ほえまる
ほえまるの「ほえ〜!」コメント

「山の椎の実を食べて海のお魚が美味しくなるなんて、自然の繋がりは不思議だワン!大きなブリをみんなで分けて食べる習慣、江戸時代の人の優しさを感じるワン。それに若狭のむし鰈が『即日京に出す』って、今でいうクール便みたいな発想だワン!」