伊勢神宮を擁する神都・伊勢。この地の海は、古来より神々への供物を捧げる聖なる宝庫でした。命を懸けて深海へ潜る海女たちの技術、将軍家へも献上された長鮑の製法、そして一粒の光に歴史を封じ込めた真珠。図会が描く、伊勢の海の驚くべき日常を辿ります。
アワビの本来の漢字は「石決明(せきけつめい)」、「鰻(あわひ)」と書くのはトコブシを指すという説があります。伊勢の和具浦・御座浦・大野浦で採られたアワビは、二見浦の北塔世で加工されます。
漁に女の海人(あま)が選ばれるのは、彼女たちが息を長く保てるからです。親族が船で命綱を操る中、海女は深海へ潜ります。若い海女は5尋(約9m)、熟練者は10〜15尋(約18〜27m)を限界とし、海底の岩に付くアワビを「箆(へら)」で不意に突いて剥ぎ取ります。浮上した際に放たれる声は「朝夕に慣れた業とはいえ、実に哀切に響き渡る」と図会は記しています。
贈り物に添える「のし」に「熨斗」の字を当てるのは本来誤りで、これは裁縫道具(アイロン)を指す言葉です。製法は、アワビの身を口から螺旋状に薄く剥き、豊後の豊島薦(むしろ)の上に敷いて乾かします。このため表面に筵の目が付くのです。
古くは「打鮑(うちあわひ)」と呼ばれ、叩いて延ばしたことから「延(のし)」という言葉になりました。足利義満公が武家の諸礼を定めた際、贈り物に添える習慣が始まったとされます。
また毎年六月朔日、志摩国国島村から両大神宮へ長鮑が献上されます。その地が「ノシサキ」と呼ばれる由縁はここにあります。正月の東武(江戸)への献上品には、長さ三尺余・幅一寸余の長鮑が数品送られました。伊勢の長鮑はあくまでも「飾り」ではなく「神への食品」であることを、図会は念を押しています。
「イセエビ」と呼ばれるのは、伊勢から京都へ送られることに由来します。江戸では鎌倉から来るものを「鎌倉エビ」、志摩から尾張に送るものを「志摩エビ」と呼びました。語源は、枝(柄)のような長い鬚を持つ「柄鬚(えひ)」から来るとされています。
漁網は長さ70尋(約126m)、深さ二間ほどで、向かいと左右の三方の目は粗く、向かい側の深さ10目ほどは細く「袋」と呼ばれます。日暮れに張り、翌朝引くと、後ろ向きに逃げる習性のあるエビが尾の方から網目に刺さって捕れます。正月の膳に「海老」を飾るのは、腰が曲がるまで長生きする祝儀の意が込められています。
「『のし』がアイロンのことだったなんて驚きだワン!昔の人は、アワビを薄く薄く剥いて神様に捧げていたんだね。僕も伊勢海老みたいに立派な髭を蓄えて、長生きしたいワン!」