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日本山海名物図会 巻三

住吉の潮干と堺庖丁

和泉・摂津(大阪府)の海辺を舞台にした二つの名物。三月三日、三里の干潟で貴賤が群集して蛤を取る住吉の潮干狩り。そして「庖丁」という言葉の語源をもつ中国の名料理人にちなむ、堺の名人・山上文珠四郎の鋼の技。

住吉潮干の図

住吉浦の潮干——三月三日は貴賤群集

三月一日頃より十日頃まで大潮となって潮の差し引きが多い。特に三月三日は「潮干(しおひ)」として貴賤が群集する。堺・住吉浦はおよそ三里ほどの干潟となり、見物の男女が沖に出て蛤(はまぐり)を取る。また地元の人々は多く取って見物の人々に売るのである。

おしなべて潮干は入海(いりうみ)の分はどこでも同じだが、堺浦・住吉浦の塩干はその名が高い。尼崎浦の塩干も甚だよく、砂浜の海で貝類を取ることが自由である。江戸では品川の潮干が賑やかであり、この浦には比目魚(ひらめ)が多く、塩水のたまりに居るのを見物の人が取って楽しむ。

住吉大社は古くから航海の神として知られ、住吉の浜は上方文化の行楽地でもあった。三月三日の潮干狩りは、上巳の節句(雛祭り)と重なる春の風物詩として、江戸時代の人々の楽しみのひとつだった。
堺庖丁の図

堺庖丁——「庖丁」という言葉の語源

和泉国(大阪府)坊津の山上文珠四郎(やまがみもんじゅしろう)は庖丁鍛冶の名人である。「正銘(ほんもの)」の「黒打ち(くろうち)」と呼ばれる包丁は、鋼(はがね)の鍛えが良く、切れ味が格別に優れている。出刃・薄刃・刺身包丁・まる箸(菜箸)・たばこ包丁など、いずれも名物として知られている。

『荘子』に「庖丁よく牛を割く」とある。「庖丁(ほうちょう)」とはもともと料理人の名前である。その人が使いこなした刃物があまりに素晴らしかったため、ついには刃物の代名詞となった。昔の誰かがこの中国の故事を取って名付け始めたのが、今や俗に通って広まっている。

「庖丁さばき」という言葉の語源は中国の名料理人にあった。堺の包丁は今日も日本を代表するブランドとして世界に名を馳せており、プロの料理人から愛されている。江戸時代の堺の名人の技が現代に受け継がれている。

堺の包丁・大阪の海の幸

名人の鋼の技と、潮の恵み——上方文化を支えた名産

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ほえまる
ほえまるの「ほえ〜!」コメント

「『庖丁』って中国の料理人の名前だったの!?その人が牛をさばく技が上手すぎて、刃物の代名詞になったなんてすごい話だワン。堺の庖丁、出刃も刺身庖丁も、今も日本一なんだワン!」