摂津国木津の干瓢(かんぴょう)は、剃刀で薄くくるくると剥かれ、雪のように白く干し上がる。山城国宇治の御茶師三十三名が管理する宇治茶は、毎年の茶摘みに他国から見物客が訪れるほどの名声を誇った。
摂津国木津(大阪府)の干瓢(かんぴょう)は名物である。昔は大坂の三津寺前より多く干瓢を出したが、木津という里の人々がこれを作るようになった。実がなり熟した時に取って輪切にし、皮を取り除いて細くむき上げ、竿にかけて日に干す。その白いことは雪のようである。
これをむくには、剃刀を左の手に持ち、右の手で輪切にした干瓢を差してむくのである。非常に薄く均一にむく職人の技は、見る者を驚かせる。
日本に茶を植えることは、第82代・後鳥羽院の御代に始まった。京の建仁寺の開山・栄西和尚が、後の唐(南宋)から帰朝する際に茶の種を持ち帰り、筑前国背振山に残された。それが先に「上茶(じょうちゃ)」と呼ばれる元となった。また梅尾(高雄山)の明恵上人(みょうえしょうにん)に種を差し上げられ、上人が山城の宇治と梅尾とに植えられた。
今、栂尾では茶が絶えて、宇治の茶が甚だ盛んになっている。四月に葉を摘んで煎茶を製する。茶摘みと製茶はすべて女性の仕事である。宇治の茶摘みは遠い国々まで名声が伝わっており、他国の人々が必ず見物に来るほど大変な賑わいとなっている。
茶の葉を摘んで折敷(おしき)に入れ、箸で塵・赤葉・蜘蛛の巣などをよく選り除いた後、釜で茹で上げる。それを桶に入れて締め木(しめぎ)で絞り、水気を取って日に干すのである。次の絵と合わせて見るべし。
茶摘み・茶より(選別)は皆、女性の仕事である。宇治の茶摘みとして遠国までも名が高く、他国の人々は必ず見物に来て大変賑やかである。茹で上げた茶を締め木で絞り、日に干したものを焙籠(ほいろ)にかけて炙る。
宇治の御茶師(おちゃし)は、幕府御用のお茶を管理する専門家集団である。全部で三十三名おり、上林味甫(かんばやしみほ)・上林春松・上林平入・上林三人・長井貞甫・酒多宗省・尾崎有庵・男寿宗・船堀真朝・長等宗味・辻善徳などの名家が名を連ねている。
挽き茶(石臼で粉にした抹茶)の製法も詳しく記されており、専用の石臼で丁寧に挽いていく様子が図会に描かれている。宇治の茶は品質によって多くの種類に分けられ、山城の高嶺本葉・薄葉・丹後草山・明石・伊勢川俣・美濃輪違・江州一山などの名も記録されている。
「宇治茶を作る御茶師さんが三十三名もいて、みんな幕府御用なんだワン!お茶摘みを見物しに他の国からわざわざ来る人がいるくらい有名だったんだね。干瓢を剃刀で剥く職人技も、ちょっと怖そうだけどかっこいいワン!」