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日本山海名物図会 巻一

金銀銅の精錬と山の神

銀山の「淘(ゆり)」から南蛮絞・灰吹まで。鉱石を砕き、水で選別し、炉で溶かして純度の高い地金に仕上げるまでの一連の精錬工程を図会は克明に記録した。9月9日の山神祭には京都や大坂から芝居一座が来て大賑わいとなる。

銀山淘汰の図

銀山の「淘(ゆり)」——水で金属を選り分ける

銀山から出た鉱石は、細かく砕いて粉にする。これを水で洗う「水ゆり」は行わず、そのまま直接、焼釜(やきがま)で焼く。

「淘(選別)」の仕方は、半切桶(はんぎりおけ)に水を汲み入れ、「かなめ」と呼ばれる鉢に鉱石の粉を入れて水の中で揺らす。すると土石はすべて桶の中に落ち、銀だけが鉢の中に残るのである。これは、おおむね金山の「板ゆり」と同じ原理である。

山神祭の図

山の神への信仰——9月9日の山神祭

山の神は、登山口に良い場所を選んで社(やしろ)を勧請(かんじょう)する。祀る神はそれぞれの願いによって定まっており、一様ではない。

祭礼の日は、京都や大坂から芝居一座を呼び寄せるなど、趣向を凝らして賑やかに祝う。近辺の村々から参詣の男女が群集し、物売りや商人も多く集まる様子は、諸社の大祭と何ら変わりはない。神前では必ず奉納相撲が行われ、近隣の力士たちが大勢集まり、非常に賑やかである。

祭りは9月9日に行われる。鉱山の安全を祈る山神祭は、危険な労働環境の中で働く鉱夫たちにとって、心の支えとなる一大行事だった。
銅の精錬

銅の価値と『漢書』の記述

銅山から掘り出した「はく石(鉱石)」を砕き、焼釜に入れて熱を加える。中国においても銅は重宝されており、歴史書『漢書』律暦志(りつれきし)には次のように記されている。

「度量衡(基準となる道具)に銅を用いるのは、銅という物質が非常に優れており、湿気や寒暑によって伸び縮みせず、風雨にさらされても形が変わらないからである」

これを見れば、唐船(中国との貿易)において銅が尊ばれる理由がよくわかる。

床家での加工

「床家(とこや)」での精錬と「丸銅」への仕上げ

銅山の「床家(とこや)」にて、焼いた鉱石を炉に入れ、溶かして「丸銅(まるどう)=地金」に仕上げる。

銅を溶かした際、表面に浮き出てきたものを「かわをり」といい、底に固まったものを「とこじり」という。また、石や土が溶けて液体になったものを「かちみ」あるいは「どぶ(スラグ)」と呼ぶ。溶けた銅を冷やす場所を「どふか」という。

銅を山から掘り出し、炉で溶かしたものを流し出すと「竿銅(さおどう)」となる。土で形を作り、底に筋をつけておき、そこへ溶けた銅を流し込むのである。現代の金属鋳造と同じ原理が、江戸時代にすでに確立されていた。
真吹の図

「真吹(まぶき)」と和歌に詠まれた製鉄の技

銅の精錬において「真吹(まぶき)」という作業がある。これは銅から不純物(白め・酸実)を取り除き、純度の高い薄い銅板に仕上げる工程である。このとき、二挺(にちょう)の「ふいご」を用いて激しく火を焚く。

古今和歌集に「まがねふく」と詠まれているのは、この真吹のことであると思われる。

「まかねふく 吉備の中山 帯にせる 細谷川の 音のさやけき」(醍醐天皇の御歌)——吉備の中山とは備中国(岡山県)のことであり、今でも備中からは多くの鉄が産出されている。
金山淘の図

「金山淘(かねゆり)」と黄金の花

金山では、掘り出した鉱石を砕き、石臼で挽き、さらに唐臼(からうす)でついて粉にする。これを「猫田(ねこだ)流し」にかけ、その後に「板ゆり(水洗いによる選別)」を行う。

ここで働く人々は、自分たちの衣服に付着したわずかな金の粉を集めて日々の生計の足しにするほど、緻密な作業を行っている。昔は「とじ金」といって黄金の塊が見つかることもあったが、今は稀である。

万葉集にある「みちのくの山に黄金花咲く」という歌は、この「とじ金」のことを指しているのだろう。

精錬の技が生んだ工芸の今

古代から続く金属加工の技——漆器・銅器・銀製品で伝統の輝きを

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ほえまる
ほえまるの「ほえ〜!」コメント

「山の神を祀るお祭りに京都や大坂から芝居一座を呼ぶなんて、江戸時代の鉱山町はエネルギッシュだったんだワン!鉛を使って金銀を取り出す南蛮絞の技術、ヨーロッパから学んだ精錬法が日本の鉱山業を変えたんだワン!」