銅山から掘り出した鉱石は、焼き分け、床家(とこや)で溶かして地金に仕上げるまで、いくつもの工程を経る。ふいごを踏んで風を送る職人たちの技、南蛮渡来の道具、鉄を精錬する踏鞴(たたら)まで、図会は精錬の現場を克明に記録した。
銅山では、砕いた鉱石を大釜で湯を沸かして洗い清め、不純物を取り除く下準備を行う。この工程を経てはじめて、鉱石は焼釜での精錬に回されるのである。
釜屋には常に湯気が立ちこめ、職人たちは束ねた薪を運び入れては火加減を調整する。地味だが、精錬の出来を左右する大切な仕事である。
銅山から掘り出した「はく石(鉱石)」を砕き、釜屋の焼釜に入れて熱を加える。中国においても銅は重宝されており、歴史書『漢書』律暦志(りつれきし)には次のように記されている。
「度量衡(基準となる道具)に銅を用いるのは、銅という物質が非常に優れており、湿気や寒暑によって伸び縮みせず、風雨にさらされても形が変わらないからである」これを見れば、唐船(中国との貿易)において銅が尊ばれる理由がよくわかる。
銅山の「床家(とこや)」にて、焼いた鉱石を炉に入れ、二挺(にちょう)のふいごで激しく風を送りながら溶かして「丸銅(まるどう)=地金」に仕上げる。
銅を溶かした際、表面に浮き出てきたものを「かわをり」といい、底に固まったものを「とこじり」という。また、石や土が溶けて液体になったものを「かちみ」あるいは「どぶ(スラグ)」と呼ぶ。溶けた銅を冷やす場所を「どふか」という。
銅の精錬において「真吹(まぶき)」という作業がある。これは銅から不純物(白め・酸実)を取り除き、純度の高い薄い銅板に仕上げる工程である。真鞴大工(まぶきだいく)と呼ばれる職人が、樽に汲んだ湯で銅を洗い、鎚で打ち仕立てていく。
古今和歌集に「まがねふく」と詠まれているのは、この真吹のことであると思われる。
南蛮(ポルトガル・オランダなど)から伝わった「南蛮鞴(なんばんふいご)」は、従来のふいごとは構造の異なる送風道具である。箱の中でピストンのように押し引きすることで、途切れることなく風を送り込むことができる。
異国の技術を取り入れることで、より効率よく火勢を保ち、地金を仕上げることができるようになった。鎖国下にあってもなお、鉱山の現場には海外の知恵が取り入れられていたのである。
鉄を精錬する際には、踏鞴(たたら)と呼ばれる大型の送風装置を用いる。数人の職人が縄にぶら下がるようにして足で踏み板を踏み込んでは風を送り込み、炉の火勢を絶やさぬようにする。
この「踏鞴」の仕組みは、後の近代製鉄にまで受け継がれる日本独自の技術であった。銅山のふいごと並び、鉄山でもまた、風を送り続ける職人たちの根気が精錬の質を支えていたのである。
「南蛮渡来のふいごに、足で踏む踏鞴……国内と海外の技術がどちらも使われてたなんて面白いワン!鎖国してた時代でも、良い技術はちゃんと取り入れてたんだね。職人さんたちの工夫がすごいワン!」