巻四の掉尾を飾るのは、産物の記述ではなく名称の来歴を疑う異色の一編。「かじか」と呼ばれる生き物の正体をめぐり、古典を丹念に読み解いて俗説を退ける、著者の博識と批判精神が光る条である。
諸国で「かしか(かじか)」と呼ぶものは種類が少なくなく、魚とも蛙ともいわれて人の口には上るものの、確かに「かしか」という名を古歌や古い物語に見ることはない。連歌の季寄「温故日録」に杜父魚(とふぎょ)をカシカとした例が八目部にあるのみで、俳諧の季寄が近来加えた注釈は三才図会などの俗書に依ったもので、ごり・石伏と決めつけて古典からの引用が不十分だと著者は批判する。
貝原益軒の大和本草の杜父魚の条にも「河鹿として古歌に詠まれた」とあるが、これは全くの誤りだという。著者は、「かしか」という言葉は俳諧師の口ずさみから生まれ、おそらく寛永年間(1624〜1644年)頃の流行語であり、西行の歌とされる「山川に汐のみちひはしられけり秋風さむく河鹿なく也」も、万葉集の歌とされるものも、実際には出典が確認できない偽作の可能性が高いと結論づける。
著者は、鴨長明の無名抄にある「井堤の蛙」こそ、今の「かじか」に当たると結論づける。井堤の蛙は色が黒く、大きすぎず、夜更けに鳴く声が心に染み入るように趣があると記される。今も京の八瀬や、大坂では有馬の太鼓ヶ滝あたりで捕れるものが、まさにこの井堤の蛙と同じだという。歌には「かはづ」と詠むべきで「かじか」とは詠まない。「かじか」の名は俳言(俳諧の言葉)に過ぎないというのが著者の見立てである。
実際の生態としては、蝦蟇(ヒキガエル)の一種で蒼黒色。足に水かきがなく指先が丸く、清流に棲む。鳴き声は夜はこま鳥に似て「ころころ」と鳴き、六、七月の間、夜には一斉に鳴く。昼も鳴いて鵙(もず)の声のようだという。足が速く捕らえにくいため、夏の土用に水底にいる時を狙って捕った。
地域差についても触れられており、伊予大洲のものは茶碗の底を叩くような声で少し大きく、加賀・越後国のものは黒い斑点を持つ大型種であるなど、地方ごとの違いが丁寧に記録されている。
「河鹿」の正体をめぐって古典を読み比べながら論争するなんて、江戸時代の学者さんの探究心はすごいワン!魚だと思っていたものが実は蛙だったという結論にもビックリだワン。